事務局長のつぶやき
またやって来た、79 年目の夏。
(続)富屋食堂は砂川にもあった
―我ら明日を恃みきー
7 月に倶楽部ブログを立ち上げた時に、「またやって来た 79 年目の夏」とつぶやいたが、もうすぐ終戦記念日である。今年はこの時期にパリオリンピックの報道が重なるので「戦争と平和」を考える報道番組も少なくなるだろう。だからということではないが、「富屋食堂は砂川にもあった」の続編を書いてみたい。前回字数の制限もあり第 165 振武隊は「全員が戦死された」と書いたが、正確には隊長の園部中尉は佐野を発って九州に移動途中、愛機の発動機故障で山口県光市の海岸に不時着、重傷を負われ離脱。残された5名はやむなく鶴翼陣から単縦陣(一列)に変更し、枝幹二少尉を先頭に何とか福岡芦屋飛行場に辿り着き、その後、万世飛行場へ、そして知覧飛行場から沖縄に出撃したのである。
枝幹二少尉(早稲田大学、特操 2 期)の6月6日父母に宛てた遺書は、さだまさしのLP「さよならにっぽん」の「兵士の手紙ときよしこの夜」のなかで郎読されています。ユーチューブで聞けますのでぜひ一度お聞きください。また、渡邊静少尉(大阪専門学校、特操 2 期)は投手として小諸商業から朝日軍(現:DeNA ベイスターズ)に入団したプロ野球選手出身で、東京ドーム敷地内にある「鎮魂の碑」には、プロ野球の未来に夢を託しつつ戦塵に散った一人としてその名が刻まれています。辞世「野球生活 八年間 ワガ心 鍛へクレシ 野球カナ」。そして和田照次少尉(上田蚕糸専門学校、特操2期)は、「愛国の血は血族の血よりも濃し、既に驕敵は我が神州を侵す、今にして我等立たずして誰かこの皇土を守らん」。手紙でこう綴りながら出撃直前の真の遺書、幹幹二ノートへの寄せ書きには、「我ら明日を恃みき、されど明日は遂にきたらざりき」と心の奥底からの叫びを記している。私達は未来を担う若者たちに、二度とこのような思いをさせてはならない。

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